ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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地獄の門の銘文:ブレイクの「神曲」への挿絵



第二曲では、地獄へ向けてのダンテとヴィルジリオの出発に当たり、ヴィルジリオが何故ダンテを迎えに来たか、その理由を語る。つまりヴィルジリオに託されたミッションの内容が語られるわけである。

ダンテは当初、ヴィルジリオの言うことがなかなか呑み込めず、地獄への旅立ちを躊躇した。それを見たヴィルジリオは、ダンテを説得するために、ダンテの敬愛するベアトリーチェの依頼によってやって来たこと、その依頼の背景には、ダンテの迷いを懸念する聖母マリアの意向があり、聖母マリアが聖女ルチーアを通じて、ベアトリーチェにダンテを導くよう指導し、それを受けてベアトリーチェが、ダンテのもとにヴィルジリオを遣わした、という事情が語られるのである。


 我は汝をこの恐れより解き放たんため、わが何故に來れるや、何事をきゝてはじめて汝のために憂ふるにいたれるやを汝に告ぐべし 
 われ懸垂の衆とともにありしに、尊き美しきひとりの淑女の我を呼ぶあり、われすなはち命を受けんことを請ひぬ 
 その目は星よりも燦あざやかなりき、天使のごとき聲をもて言ことば麗しくやはらかく我に曰ひけるは 
 やさしきマントヴァの魂よ(汝の名はいまなほ世に殘る、また動うごきのやまぬかぎりは殘らん) 
 わが友にて命運の友にあらざるもの道を荒さびたる麓に塞がれ、恐れて踵をめぐらせり 
 我は彼のことにつきて天にて聞ける所により、彼既に探く迷ひわが彼を助けんため身を起せしことの遲きにあらざるなきやを恐る 
 いざ行け、汝の琢ける詞またすべて彼の救ひに缺くべからざることをもて彼を助け、わが心を慰めよ 
 かく汝にゆくを請ふものはベアトリーチェなり、我はわが歸るをねがふ處より來れり、愛我を動かし我に物言はしむ 
 わが主のみまへに立たん時我しばしば汝のことを譽ほむべし、かくいひて默もだせり、我即ちいひけるは 
 徳そなはれる淑女よ(およそ人圈けん最いと小さき天の内なる一切のものに優るはたゞ汝によるのみ) 
 汝の命ずるところよくわが心に適ひ、既にこれに從へりとなすともなほしかするの遲きを覺ゆ、汝さらに願ひを我に闢ひらくを須もちゐず 
 たゞねがはくは我に告げよ、汝何ぞ危ぶむことなく、闊き處をはなれ歸思衷に燃ゆるもなほこの中心に下れるや 
 彼答へていひけるは、汝かく事の隱微をしるをねがへば、我はわが何故に恐れずここに來れるやを約つゞまやかに汝に告ぐべし 
 夫れ我等の恐るべきはたゞ人に禍ひをなす力あるものゝみ、その他ほかにはなし、これ恐れをおこさしむるものにあらざればなり 
 神はその恩惠めぐみによりて我を造りたまひたれば、汝等のなやみも我に觸れず燃ゆる焔も我を襲はじ 
 ひとりの尊き淑女天にあり、わが汝を遣はすにいたれるこの障礙しやうげのおこれるをあはれみて天上の嚴おごそかなる審判さばきを抂ぐ 
 かれルチーアを呼び、請ひていひけるは、汝に忠なる者いま汝に頼らざるをえず、我すなわち彼を汝に薦むと 
 すべてあらぶるものゝ敵あだなるルチーアいでゝわが古いにしへのラケーレと坐しゐたる所に來り 
 いひけるは、ベアトリーチェ、神の眞まことの讚美よ、汝何ぞ汝を愛すること深く汝のために世俗を離るゝにいたれるものを助けざる 
 汝はかれの苦しき歎きを聞かざるか、汝は河水漲りて海も誇るにたらざるところにかれを攻むる死をみざるか 
 世にある人の利に趨り害を避くる急はやしといへども、かくいふをききて 
 汝の言ことばの品しなたかく汝の譽また聞けるものゝ譽なるを頼たのみとし、祝福めぐみの座を離れてこゝに下れるわがはやさには若かじ 
 かくかたりて後涙を流し、その燦あざやかなる目をめぐらせり、わが疾とくとく來れるもこれがためなりき 
 さればわれ斯く彼の旨をうけて汝に來り、美山うつくしきやまの捷路ちかみちを奪へるかの獸より汝を救へり 
 しかるに何事ぞ、何故に、何故にとゞまるや、何故にかゝる卑怯を心にやどすや、かくやむごとなき三人みたりの淑女 
 天の王宮に在りて汝のために心を勞し、かつわが告ぐるところかく大いなる幸さちを汝に約するに汝何ぞ勇なく信なきや 
 たとへば小さき花の夜寒にうなだれ、凋めるが日のこれを白むるころ、悉くおきかへりてその莖の上にひらく如く
 わが萎えしたましひかはり、わが心いたくいさめば、恐るゝものなき人のごとくわれいひけるは
 あゝ慈悲深きかな我をたすけし淑女、志厚きかなかれが傳へし眞の詞にとくしたがへる汝
 汝言によりわが心を移して往くの願ひを起さしめ、我ははじめの志にかへれり 
 いざゆけ、導者よ、主よ、師よ、兩者に一の思ひあるのみ、我斯く彼にいひ、かれ歩めるとき
 艱き廢れし路にすすみぬ(地獄篇第二曲から、山川丙三郎訳)


下段の中央にダンテと彼を導くヴィルジリオが描かれ、彼らの頭上に三人の女性が描かれているが、おそらく、聖母マリア、聖女ルチーア、ベアトリーチェだと思われる。

そのほか周囲にいる人物たちが何をあらわしているかについては、色々な解釈がある。上部の髭の老人はブレイクの解釈になるエホヴァ(ユリゼンと言われる)、その前にひざまずいているのは、イタリアの世俗の支配者というのが有力な見方である。

いづれにしてもこの絵は、第二曲のテクストとは直接的な関連はないようである。なお、地獄と煉獄のイメージについていえば、地球の底に向って地獄が漏斗状に開いており、その先が地球の反対側に突き出た部分が山となり、その山が煉獄を構成するという形になっている。だからダンテたちは、漏斗状の穴をどんどん下って行き、その穴が地球の反対側に突き出たところに出るというイメージになっているわけである。





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