ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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地獄の門をくぐると早速、大勢の人々のうめき声や叫び声が聞こえてくる。彼らは天国へ行くことができず、とりあえず地獄の門へと落された人々である。ここから三途の川を渡って地獄の中へと入って行き、それぞれ自分に割り当てられたところに向かっていくのである。 その三途の川のほとりには大勢の人々が整列している。彼らの前には一人の男が、旗を掲げて立っている。彼こそは三途の川の渡守カロンである。カロンは、地獄行きの運命を授けられた人々を船に乗せて、三途の川を渡し、地獄の獄卒に引き渡すのが仕事なのだ。 そのカロンに向って、ダンテとヴィルジリオが進んで行くと、ここは地獄行きとかかわりのない人の来るところではないといって、カロンが二人を拒絶する。しかし、ヴィルジリオの鋭い眼光に射とめられて、二人を船に乗せ、地獄へと運んで行くのである。 ここには歎き、悲しみの聲、はげしき叫喚、星なき空そらにひゞきわたれば、我はたちまち涙を流せり 異樣の音おん、罵詈のゝしりの叫び、苦患なやみの言ことば、怒りの節ふし、強き聲、弱き聲、手の響きこれにまじりて 轟動どよめき、たえず常暗とこやみの空をめぐりてさながら旋風吹起る時の砂のごとし 怖れはわが頭かうべを卷けり、我即ちいふ、師よわが聞くところのものは何ぞや、かく苦患なやみに負くるとみゆるは何の民ぞや 彼我に、この幸さちなき状さまにあるは恥もなく譽もなく世をおくれるものらの悲しき魂なり 彼等に混まじりて、神に逆さからへるにあらず、また忠なりしにもあらず、たゞ己にのみ頼れるいやしき天使の族むれあり 天の彼等を逐へるはその美に虧くる處なからんため、深き地獄の彼等を受けざるは罪ある者等これによりて誇ることなからんためなり 我、師よ、彼等何を苦しみてかくいたく歎くにいたるや、答へていふ、いと約つゞまやかにこれを汝に告ぐべし それ彼等には死の望みなし、その失明の生はいと卑しく、いかなる分際きはといへどもその嫉みをうけざるなし 世は彼等の名の存のこるをゆるさず、慈悲も正義も彼等を輕んず、我等また彼等のことをかたるをやめん、汝たゞ見て過ぎよ われ目をさだめて見しに一旒の旗ありき、飜り流れてそのはやきこと些の停止をも蔑視むに似たり またその後方には長き列を成して歩める民ありき、死がかく多くの者を滅ぼすにいたらんとはわが思はざりしところなりしを われわが識れるものゝ彼等の中にあるをみし後、心おくれて大事を辭めるものゝ魂を見知りぬ われはたゞちに悟りかつ信ぜり、こは神にも神の敵にも厭はるゝ卑しきものの宗族なりしを これらの生けることなき劣れるものらはみな裸のまゝなりき、また虻あり蜂ありていたくかれらを刺し 顏に血汐の線をひき、その血の涙と混れるを汚らはしき蟲を足下にあつめぬ われまた目をとめてなほ先方を望み、一の大いなる川の邊に民あるをみ、いひけるは、師よねがはくは かれらの誰なるや、微なる光によりてうかゞふに彼等渡るをいそぐに似たるは何の定によりてなるやを我に知らせよ 彼我に、我等アケロンテの悲しき岸邊に足をとゞむる時これらの事汝にあきらかなるべし この時わが目恥を帶びて垂れ、われはわが言彼に累をなすをおそれて、川にいたるまで物言ふことなかりき こゝに見よひとりの翁の年へし髮を戴きて白きを、かれ船にて我等の方に來り、叫びていひけるは、禍ひなるかな汝等惡しき魂よ 天を見るを望むなかれ、我は汝等をかなたの岸、永久の闇の中熱の中氷の中に連れゆかんとて來れるなり またそこなる生ける魂よ、これらの死にし者を離れよ、されどわが去らざるをみて いふ、汝はほかの路によりほかの港によりて岸につくべし、汝の渡るはこゝにあらず、汝を送るべき船はこれよりなほ輕し 導者彼に、カロンよ、怒る勿れ、思ひ定めたる事を凡て行ふ能力あるところにてかく思ひ定められしなり、汝また問ふこと勿れ(地獄篇第三曲から、山川丙三郎訳) 絵は三途の川のほとりに集合して、地獄行きを待つ人々を描く。白旗を掲げているのが、三途の川の渡守カロンである。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |