ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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第六圏から第七圏へ下りてゆく途中に高い崖がある。そこで小休止をとりながら、ヴィルジリオは地獄の最も下の諸圏について話す。いままでの六つの圏が上層の圏とすれば、これより下の圏は下層の圏で、そこには今まで以上に罪深き人々が閉じ込められている。 第七圏には三つの小さな圏(獄)があって、そのうちの最初の獄は暴力を働いたもの、次の獄は欺罔を犯したものたちが閉じ込められている。 碎けし巨岩の輪より成る高き岸の縁にいたれば、我等の下にはいよいよ酷き群ありき たちのぼる深淵の惡臭たへがたく劇しきをもて、我等はとある大墳の蓋の後方に身を寄せぬ われこゝに一の銘をみたり、曰く、我はフォーチンに引かれて正路を離れし法王アナスターショを納むと 我等ゆるやかにくだりゆくべし、かくして官能まづ少しく悲しみの氣息に慣れなば、こののち患をなすことあらじ 師斯く、我彼に曰ふ、時空しく過ぐるなからんため補充の途を求めたまへ、彼、げに我もまたその事をおもへるなり 又曰ひけるは、わが子よ、これらの岩の中に三の小さき獄あり、その次第をなすこと汝が去らんとする諸々の獄の如し これらみな詛ひの魂にて滿たさる、されどこの後汝たゞ見るのみにて足れりとするをえんため、彼等の繋がるゝ状と故とをきけ 夫れ憎を天にうくる一切の邪惡はその目的非を行ふにあり、しかしてすべてかゝる目的は或は力により或は欺罔によりて他を窘しむ されど欺罔は人特有の罪惡なれば、神意に悖ること殊に甚し、この故にたばかる者低きにあり、かれらを攻むる苦患また殊に大なり 第一の獄はすべて荒ぶる者より成る、されど力のむかふところに三の者あれば、この獄また三の圓にわかたる 力の及びうべきところに神あり、自己あり、隣人あり、こは此等と此等に屬けるものゝ謂なることわれなほ明かに汝に説くべし ・・・ 欺罔は、心これによりて疚しからぬはなし、人之を己を信ずるものまたは信ぜざるものに行ふ 後者はたゞ自然が造れる愛の繋を斷つに似たり、この故に僞善、諂諛、人を惑はす者 詐欺、竊盜、シモエア、判人、汚吏、およびこのたぐひの汚穢みな第二の獄に巣くへり 前者にありては自然の造れる愛と、その後これに加はりて特殊の信を生むにいたれるものとともにわすらる この故に宇宙の中心ディーテの座所ある最小の獄にては、すべて信を賣るもの永遠の滅亡をうく(地獄篇第十一曲より、山川丙三郎訳) 上の挿絵は、地獄を構成する九つの圏をイメージしたもの。ダンテの本分では、諸圏は坩堝上に配置されており、上層から下層へ向かって下りてゆくとイメージされているが、ブレイクのこの挿絵では、逆になっているようである。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |