ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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ネッソに導かれて川を渡るうちに、ダンテたちは道のない森に入る。この森は、自殺した者たちが木に変身して立ち並んでいるところだった。その木の一つについて、ヴィルジリオにいわれるままダンテが小枝を折ると、木からは苦痛を訴える叫び声が聞こえてくる。 ネッソ未だかなたに着かざるに我等は道の跡もなき一の森をわけて進めり 木の葉は色黯みて緑なるなく、枝は節だちくねりて直く滑かなるなく、毒をふくむ刺ありて實なし チェチーナとコルネートの間なる耕せる處を嫌ふ猛き獸の栖にもかくあらびかくしげれるしげみはあらじ 穢きアルピーエこゝにその巣を作れり、こは末凶なりとの悲報をもてトロイア人をストロファーデより追へるものなり その翼はひろく頸と顏とは人にして足に爪、大いなる腹に羽あり、彼等奇しき樹の上にて歎けり 善き師我にいひけるは、遠くゆかざるさきに知るべし、汝は第二の圓にあるなり また恐ろしき砂にいたるまでこの圓にあらん、この故によく目をとめよ、さらばわが言より信を奪ふべきものをみん われ四方に叫喚を聞けども、これを上ぐる人を見ざれば、いたく惑ひて止まれり 思ふにかく多くの聲はかの幹の間我等のために身をかくせし民よりいでぬと我思へりと彼思へるなるべし 師乃ち曰ふ、汝この樹の一より小枝を手折らば、汝のいだく思ひはすべて斷たるべし この時われ手を少しく前にのべてとある大いなる荊棘より一の小枝を採りたるに、その幹叫びて何ぞ我を折るやといふ かくて血に黯むにおよびてまた叫びていひけるは、何ぞ我を裂くや、憐みの心些も汝にあらざるか いま木と變れども我等は人なりき、またたとひ蛇の魂なりきとも汝の手にいま少しの慈悲はあるべきを たとへば生木の一端燃え、一端よりは雫おち風聲を成してにげさるごとく 詞と血と共に折れたる枝より出でにき、されば我は尖を落して恐るゝ人の如くに立てり(地獄篇第十三曲から、山川丙三郎訳) 絵は、森の中を行くダンテとヴィルジリオ。樹木には人間の表情が浮かび上がって見える。また、絵だの家にはフクロウと思われる動物がとまっている。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |