ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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地獄の一光景:ブレイクの「神曲」への挿絵



前回の自殺者の森の場面に続き、ダンテの本文は、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世に仕えたピエル・デッラ・ヴィーニャの告白の場面に移る。

告白の内容は、ビーニャ自身の身の上話や、この森の亡霊たちが木に変身させられた事情などだ。

 わが聖答へて曰ひけるは、しひたげられし魂よ、彼若しわが詩の中にのみ見しことを始めより信じえた りしならんには
 汝にむかひて手を伸ぶることなかりしなるべし、たゞ事信じ難きによりて我彼にすすめてこの行あらしむ、わが心これが爲に苦し
 されど汝の誰なりしやを彼に告げよ、さらば彼汝の名を上の世に(彼かしこに歸るを許さる)新にし、これを贖のよすがとなさん
 幹、かゝる麗しき言にさそはれ、われ口を噤み難し、願はくは心ひかるゝまゝにわが少しく語らん事の汝に累となるなからんことを
 我はフェデリーゴの心の鑰を二ながら持てる者なりき、我これをめぐらして或ひは閉ぢ或ひは開きその術巧みなりければ
 殆ど何人と雖も彼の祕密に係はるをえざりき、わがこの榮ある職に忠なりし事いかばかりぞや、我之がために睡りをも脈をも失へり
 阿諛の眼をチェーザレの家より放ちしことなく、おしなべての死、宮の罪惡なる遊女は
 すべての心を燃やして我に背かしめ、燃えし心はアウグストの心を燃やし、喜びの譽悲しみの歎きとかはりぬ
 わが精神は怒りに驅られ、死によりて誹りを免かれんことを思ひ、正しからざることを正しきわが身に行へり
 この樹の奇しき根によりて誓ひて曰はん、我はいまだかく譽をうるにふさはしかりしわが主の信に背けることなしと
 汝等のうち若し世に歸る者あらば、嫉みに打たれていまなほ地に伏すわが記憶を慰めよ
 待つこと須臾にして詩人我に曰ひけるは、彼默すために時を失ふことなく、なほ問ふことあらばいひて彼に問へ
 我乃ち彼に、汝我心に適ふべしと思ふ事をば請ふわがために彼に問へ、憐み胸にせまりて我しかするあたはざればなり
 此故に彼又曰ひけるは、獄裏の魂よ、願はくは此人ねんごろに汝のために汝の言の乞求むるものをなさんことを、請ふ更に
 我等に告げて魂此等の節の中に繋がるゝに至る状》をいへ、又若しかなはゞそのかゝる體より解放たるゝ事ありや否やをもいへ
 この時幹はげしく氣を吐けり、この風聲に變りていふ、約やかに汝等に答へん 
 殘忍なる魂己を身よりひき放ちて去ることあればミノスこれを第七の口におくり
 このもの林の中に落つ、されど定まれる處なく、たゞ命運の投入るゝ處にいたりて芽すこと一粒の麥の如く
 若枝となり後野生の木となる、アルピーエその葉を食みてこれに痛みを與へまた痛みに窓を與ふ、我等はほかの者と等しく
 我等の衣の爲めに行くべし、されど再びこれを着る者あるによるに非ず、そは人自ら棄てし物をうくるは正しき事に非ざればなり
 我等これをこゝに曳き來らむ、かくて我等の體はこの憂き林、いづれも己を虐げし魂の荊棘》の上に懸けらるべし

上の絵には、どの場面に対応するのか明確な記事がないが、絵柄からして、ヴィーニャの告白の場面をあらわすに相応しいと判断し、ここに挿入してみた。





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