ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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自殺者の森を離れたダンテとヴィルジリオは、熱砂の砂漠に入ってゆく。そこは第二の輪と第三の輪の境にあって、広大な砂の台地に火の雨が降り注ぎ、大勢の亡霊たちが、火攻めにあって苦しんでいた。それらの亡霊たちは、神や自然を冒涜した咎でここに落されてきたのである。 走りながら降ってくる火の雨を逃れようとする者もあれば、仰向けになって火の雨を浴びている者もある。それらの者たちを、ブレイクは、涜神者、高利貸し、男色者と表現している。 郷土の愛にはげまされ、落ちちらばりし小枝を集めて既に聲なきかの者にかへせり さてこゝよりすゝみて第二と第三の圓のわかるゝところなる境にいたればこゝに恐るべき正義の業みゆ めなれぬものをさだかに知らしめんためさらにいはんに、我等は一草一木をも床に容れざる一の廣野につけり 憂ひの林これをめぐりて環飾となり、さながら悲しみの濠の林に於ける如くなりき、こゝに我等縁いと近き處に足をとゞめぬ 地は乾ける深き砂にてその状そのかみカートンの足踏めるものと異なるなかりき あゝ神の復讎よ、わがまのあたり見しことを讀むなべての人の汝を恐るゝこといかばかりなるべき 我は裸なる魂の多くの群を見たり、彼等みないと幸なきさまにて泣きぬ、またその中に行はるゝ掟一樣ならざるに似たりき 仰きて地に臥せる民あり、全く身を縮めて坐せるあり、またたえず歩めるありき めぐりゆくものその數いと多し、また臥して苛責をうくるものはその數いと少なきもその舌歎きによりて却つて寛かりき 砂といふ砂の上には延びたる火片しづかに降りて、風なき峻嶺の雪の如し 昔アレッサンドロ、インドの熱き處にて焔その士卒の上に落ち地にいたるも消えざるをみ三 火はその孤なるにあたりて消し易かりしが故に部下に地を踏ましめしことありき かくの如く苦患を増さんとて永遠の熱おちくだり、砂の燃ゆることあたかも火打鎌の下なる火口にひとしく 忽ちかなたに忽ちこなたに新なる焔をはらふ幸なき雙手の亂舞にはしばしの休みもあることなかりき(地獄篇第十四曲から、山川丙三郎訳) 絵は、火だるまになるながら逃げ惑う人々を見つめるダンテとヴィルジリオ。人々の頭上からは、暗黒の雨が降り注ぐ。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |