ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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熱砂の輪を通過すると、その先に滝の音が聞こえてきた。すると二人の前に三人の亡霊が現れ、輪を作ってグルグルとまわり始めた。この亡霊たちは、フィレンツェの人ヤコボ・ルスティクッチと、その仲間なのであった。とまどうダンテにヴィルジリオは、これらの人々に敬意を払いなさいと進める。その亡霊たちの求めに応じてダンテはフィレンツエの近況を伝えるのだ。 我は既に次の獄に落つる水の響きあたかも蜂の果の鳴る如く聞ゆるところにいたれるに この時三の魂ありてはしりつゝ、はげしき苛責の雨にうたれて過ぎゆく群を齊しくはなれ 我等の方にむかひて來り、各々叫びていひけるは、止まれ、衣によりてはかるに汝は我等の邪なる邑の者なるべし あはれ彼等の身にみゆるは何等の傷ぞや、みな焔に燒かれしものにて新しきあり、古きあり、そのさま出づればいまなほ苦し 我師彼等のよばゝる聲に心をとめ顏をわが方にむけていひけるは、待て、彼等は人の敬ひをうくべきものなり さればもし處の性の火を射るなくば我は急は彼等よりもかへつて汝にふさはしといふべし 我等止まれるに彼等は再び古歌をうたひ、斯くて我等に近づける時三者あひ寄りて一の輪をつくれり 裸なる身に膏うちぬり將に互に攻め撲たんとしてまづおさゆべき機會をうかゞふ勇士の如く 彼等もまためぐりつゝ各々目を我にそゝぎ、頸はたえず足と異なる方にむかひて動けり そのひとりいふ、この軟かき處の幸なさ、黯み爛れし我等の姿、たとひ我等と我等の請ひとに侮りを招く事はありとも 願はくは我等の名汝の意を枉げ、生くる足にてかく安らかに地獄を擦りゆく汝の誰なるやを我等に告げしめんことを 見らるゝ如く足跡を我に踏ましむるこのひとりは裸にて毛なしといへども汝の思ふよりは尚際貴き者なりき こは善きグアルドラーダの孫にて名をグイード・グエルラといひ、その世にあるや智と劒をもて多くの事をなしたりき わが後に砂を踏みくだく者はその名上の世に稱へらるべきテッギアイオ・アルドブランディなり また彼等と共に十字架にかゝれる我はヤーコポ・ルスティクッチといへり、げに萬の物にまさりてわが猛き妻我に禍す 我若し火を避くるをえたりしならんには身を彼等の中に投げ入れしなるべく思ふに師もこれを許せるなるべし されど焦され燒かるべき身なりしをもて、彼等を抱かんことを切に我に求めしめしわが善き願ひは恐れに負けたり かくて我曰ひけるは、汝等の状態はわが衷に侮りにあらで大いなる俄に消え盡し難き憂ひを宿せり こはこれなる我主の言によりてわが汝等の如き民來るをしりしその時にはじまる 我は汝等の邑の者なり、常に心をとめて汝等の行と美名をかたり且つきけり 我は膽を棄て眞の導者の我に約束したまへる甘き實をえんとてゆくなり、されどまづ中心までくだらではかなはじ この時彼答ふらく、ねがはくは魂ながく汝の身をみちびき汝の名汝の後に輝かんことを 請ふ告げよ、文と武とは昔の如く我等の邑にとゞまるや、または廢れて跡なきや そはグイリエールモ・ボルシエーレとて我等と共に苦しむ日淺くいまかなたに侶とゆく者その言によりていたく我等を憂へしむ 新なる民、不意の富は、フィオレンツァよ、自負と放逸を汝のうちに生み、汝は既に是に依りて泣くなり われ顏を擧げて斯くよばゝれるに、かの三者これをわが答と知りて互に面を見あはせぬ、そのさま眞を聞きて人のあひ見る如くなりき 皆答へて曰ひけるは、かく卑しき價をもていづれの日にかまた人の心をたらはすをえば、かく心のまゝに物言ふ汝は福なるかな 此故に汝これらの暗き處を脱れ、再び美しき星を見んとて歸り、我かしこにありきと喜びていふをうる時 ねがはくは我等の事を人々に傳へよ、かくいひてのち輪をくづしてはせゆきぬ、その足疾きこと翼に似たりき 彼等は忽ち見えずなりにき、アーメンもかくはやくは唱へえざりしなるべし、されば師もまた去るをよしと見たまへり(地獄篇題十六歌から、山川丙三郎訳) 絵はグルグルと輪になってまわる三人の亡霊たちと、それを見つめるダンテとヴィルジリオ。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |