ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
HOMEブログ本館美術批評東京を描く動物写真英詩と英文学西洋哲学 プロフィール掲示板




ねじまき頭たち:ブレイクの「神曲」への挿絵



ダンテとヴィルジリオは第四の嚢に至り、その上方から底の方を見下すと、奇妙な姿のものどもがうごめいていた。彼らの頭は、ねじで巻かれたように、後のほうへねじ曲がり、その顔は自分の胸ではなく背中の上に位置し、流す涙が尻の割れ目を伝って落ちるのだった。この者どもはみな、生前は霊媒だったものたちだ。

その霊媒に向ってヴィルジリオが声をかける。まず、アルゴスの霊媒アンフィアラーオ、彼はアルゴノートの遠征に加わった英雄でもあったが、自分の霊媒の術によって、この戦いで死ぬ運命であることがわかると、戦いから逃れようとして地獄に落ちたのだった。その次はテーベの霊媒ティレジウス、彼はゼウスとヘラの夫婦げんかに巻き込まれて、女にされたり、再び男に戻ったりした挙句、最後には地獄に落ちたのだった。

 新なる刑罰を詩に編み、これを第一の歌沈める者の歌のうちなる曲第二十の材となすべき時は至れり 
こゝにわれよく心をとめて望み見しに、くるしみの涙を浴びし底あらはれ 
 まろき大溪に沿ひて來れる民泣いて物言はず、足のはこびはこの世の祈祷の行列に似たりき 
 わが目なほひくゝ垂れて彼等におよべば、頤と胸との間みな奇しくゆがみて見ゆ 
 すなはち顏は背にむかひ、彼等前を望むあたはで、たゞ後方に行くあるのみ 
 げに人中風のわざによりてかく全くゆがむにいたれることもあるべし、されど我未だかゝることをみず、またありとも思ひがたし 
 讀者よ(願はくは神汝に讀みて實を摘むことをえしめよ)、請ふ今自ら思へ、目の涙背筋をつたひて 
 臂を洗ふばかりにいたくゆがめる我等の像をしたしく見、我何ぞ顏を濡らさゞるをえん 
 我はげに堅き石橋の岩の一に凭れて泣けり、導者すなはち我に曰ふ、汝なほ愚者に等しきや 
 夫れこゝにては慈悲全く死してはじめて敬虔生く、神の審判にむかひて憐みを起す者あらばこれより大いなる罪人あらんや 
 首をあげよ、あげてかの者を見よ、テーベ人の目の前にて地そのためにひらけしはこれなり、この時人々皆叫びて、アンフィアラーオよ 
 何處におちいるや何ぞ軍を避くるやとよべるもおちいりて止まるひまなく、遂に萬民をとらふるミノスにいたれり 
 見よ彼は背を胸に代ふ、あまりに前をのみ見んことをねがへるによりていま後を見後方にゆくなり 
 ティレージアを見よ、こは體すべて變りて男より女となり、その姿あらたまるにいたれるものなり 
 この事ありて後、再び雄々しき羽をうるため、彼まづ杖をもて二匹の縺れあへる蛇をふたゝび打たざるをえざりき(地獄篇第二十歌から、山川丙三郎訳) 

以上の二人に続き、エトルリアの霊媒アロンタ、マントゥアの街ゆかりの女霊媒マント、ギリシャ神話に出てくる霊媒エウリュピュロスなどに向ってヴィルジリオは次々と声をかけて行ったほか、そのほか沢山の霊媒たちをダンテに紹介した。





HOME神曲への挿絵次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである