ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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第六の嚢から第七の嚢に通じる道は、けわしい岩場を登っていかねばならなかった。二人はその難路を、息を切らしながら登ってゆく。ヴィルジリオが音頭をとって、ときにはダンテを抱きかかえながら。 一年未だうらわかく、日は寶瓶宮裏に髮をとゝのへ、夜はすでに南にむかひ 霜は白き姉妹の姿を地に寫せども、筆のはこびの長く續きもあへぬころ 貯藏盡きしひとりの農夫、おきいでゝながむるに、野は悉く白ければ、その腰をうちて 我家にかへり、かなたこなたに呟くさまさながら幸なき人のせんすべしらぬごとくなれども、のち再びいづるにおよびて 世の顏束の間にかはれるを見、あらたに望みを呼び起してつゑをとり、小羊を追ひ牧場にむかふ かくの如く師はその額に亂をみせて我をおそれしめ、またかくの如く痛みはたゞちに藥をえたりき そは我等壞れし橋にいたれる時、導者はわがさきに山の麓に見たりし如きうるはしき氣色にてわがかたにむかひたればなり かれまづよく崩壞をみ、心に思ひめぐらして後その腕をひらきて我をかゝへ 且つ行ひ且つ量り常に預め事に備ふる人の如く我を一の巨岩の頂に上げつゝ 目をほかの岩片にとめ、これよりかの岩に縋るべし、されどまづその汝を支へうべきや否やをためしみよといふ こは衣を着し者の路にはあらじ、岩より岩を上りゆくは我等(彼輕く我押さるゝも)にだに難きわざなりき 若しこの堤の一側對面の側より短かゝらずば、彼のことはしらねど、我は全く力盡くるにいたれるなるべし されどマーレボルジェはみないと低き坎の口にむかひて傾くがゆゑに、いづれの溪もそのさまこの理にもとづきて 彼岸高く此岸ひくし、我等はつひに最後の石の碎け散りたる處にいたれり 上り終れる時はわが氣息いたく肺より搾られ、我また進むあたはざれば、着くとひとしくかしこに坐れり(地獄篇第二十四曲から、山川丙三郎訳) こうして二人はやっとのことで、岩場の登り道の頂上に立つ。この絵は、岩場を登る二人の姿を描いているが、ふたりともまだスケッチの段階を出ず、あいまいな姿で描かれている。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |