ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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蛇に苛まれる盗賊のうちにひときわ目を引く者がいる。よく見ていると、その盗賊は蛇のために火で焼かれて灰になるのであるが、そのたびにもとの姿に復活する。するとまた蛇のために焼かれて再び灰になり、その後また復活する。この有様が永遠に続くことで、この亡霊は永遠の責苦にさらされるのだ。地獄に来てもなお、終りのない責苦、これこそ本当の地獄なのであろう。 その亡霊は、ピストイアの名高き盗賊ヴァンニ・フッチだった。フッチはダンテに恨みがあるのか、ダンテの嫌がるような話をして、不吉な予言をする。それはダンテの属するフィレンツェの党派が、敵の手によって滅ぼされるだろうというものだった。 こゝに見よ、こなたの岸近く立てるひとりの者にむかひて一匹の蛇飛び行き、頸と肩と結びあふところを刺せり oまたはiを書くともかく早からじとおもはるゝばかりに彼は忽ち火をうけて燃え、全く灰となりて倒るゝの外すべなかりき 彼かく頽れて地にありしに、塵おのづからあつまりてたゞちにもとの身となれり 名高き聖等またかゝることあるをいへり、曰く、靈鳥《フエニーチエ》はその齡五百年に近づきて死し、後再び生る この鳥世にあるや、草をも麥をも食まず、たゞ薫物の涙とアモモとを食む、また甘松と沒藥とはその最後の壽衣となると 人或ひは鬼の力によりて地にひかれ、或ひは塞にさへられて倒れ、やがて身を起せども、おのがたふれし次第をしらねば うけし大いなる苦しみのためいたくまどひて目をうちひらき、あたりを見つゝ歎くことあり 起き上れる罪人のさままた斯くの如くなりき、あゝ仇を報いんとてかくはげしく打懲す神の威力はいかにきびしきかな 導者この時彼にその誰なるやを問へるに、答へて曰ひけるは、我は往日トスカーナよりこのおそろしき喉の中に降り下れる者なり 我は騾馬なりければまたこれに傚ひて人にはあらで獸の如く世をおくるを好めり、我はヴァンニ・フッチといふ獸なり、しかして ピストイアは我に應しき岩窟なりき、われ導者に、彼に逃る勿れといひ、また彼をこゝに陷らしめしは何の罪なるやを尋ねたまへ わが見たるところによれば彼は血と怒りの人なりき、この時罪人これを聞きて佯らず、心をも顏をも我にむけ、悲しき恥に身を彩色りぬ かくて曰ひけるは、かゝる禍ひの中にて汝にあへる悲しみは、わがかの世をうばゝれし時よりも深し 我は汝の問を否むあたはず、わがかく深く沈めるは飾美しき寺の寶藏の盜人たりし故なりき またこの罪嘗てあやまりて人に負はされしことあり、されど汝此等の暗き處をいづるをえてわがさまをみしを喜びとなすなからんため 耳を開きてわがうちあかすことを聞け、まづピストイアは黒黨を失ひて痩せ、次にフィオレンツァは民と習俗を新にすべし マルテはヴァル・ヂ・マーグラより亂るゝ雲に裹まれし一の火氣をひきいだし、嵐劇しくすさまじく カムポ・ピチェンに戰起りて、この者たちまち霧を擘》き、白黨悉くこれに打たれん 我これをいふは汝に憂ひあらしめんためなり 絵は、蛇の責苦を受けるヴァンニ・フッチを描く。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |