ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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フッチが逃げ去った後、それを追いかけるように一体のケンタウロスが現れる。そのケンタウロスはカクスという名で、自らおかした悪行のために、他のケンタウロスの仲間からはずれて単独行動をしているのだと、ヴィルジリオが言う。 カクスがぶつくさ言いながらダンテらの傍らを通り過ぎてゆくと、その後から三人の亡者がやって来た。それを見たダンテは、彼らに気づかれるのを恐れるように、ヴィルジリオに指の動作で合図をする。 かれ物言はで逃去りぬ、此時我は怒り滿々し一のチェンタウロ、何處にあるぞ、執拗なる者何處にあるぞとよばはりつゝ來るを見たり 思ふに彼が人の容の連れるところまでその背に負へるとき多くの蛇はマレムマの中にもあらぬなるべし 肩の上、項の後には一の龍翼をひらきて蟠まり、いであふ者あればみなこれを燒けり わが師曰ひけるは、こはカーコとてアヴェンティーノ山の巖の下にしばしば血の湖を造れるものなり 彼はその兄弟等と一の路を行かず、こは嘗てその近傍にとゞまれる大いなる家畜の群を謀りて掠めし事あるによりてなり またこの事ありしため、その歪める行はエルクレの棒に罹りて止みたり、恐らくは彼百を受けしなるべし、然もその十をも覺ゆる事なかりき 彼斯く語れる間(彼過ぎゆけり)三の魂我等の下に來れるを我も導者もしらざりしに 彼等さけびて汝等は誰ぞといへり、我等すなはち語ることをやめ、今は心を彼等にのみとめぬ 我は彼等を識らざりき、されど世にはかゝること偶然ある習ひとて、そのひとり、チヤンファはいづこに止まるならんといひ その侶の名を呼ぶにいたれり、この故に我は導者の心をひかんためわが指を上げて頤と鼻の間におきぬ(地獄篇第二十五曲から 山川丙三郎訳) 絵は、ケンタウロスのカクス。頭上に翼を大きく広げた龍が乗っている。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |