ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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第八の嚢では、ユリシーズとディオゲネスを包んだ炎に続いて、グイド・ダ・モンテフェルロの魂魄を包んだ炎が現れ、ダンテらに向かって言葉をかける。グイドは、ロマーニャの出身者にして、ダンテが隣のフィレンツェ人だと知り、故郷がいまどうなっているか聞かせて欲しいと頼む。それに応えてダンテは、ロマーニャ地方の街々の現在の様子を話して聞かせる。(以上第廿七曲) その後ダンテとヴィルジリオの二人は、第九の嚢に来る。そこは人々の間に分離をもたらし不和の種を播いたものたちが落されていた。彼らは、人々を分離させた咎により、自分の身体を切り裂かれたり、身体の部分を分離させられている。ここでダンテらはまず、マホメットの魂魄に出会う。キリスト教徒であるダンテの目には、マホメットは人々を分離させ、不和の種を播いた悪人に映るわけである。 たとひ紲なき言をもちゐ、またしばしばかたるとも、此時わが見し血と傷とを誰かは脱なく陳べうべき 收むべきことかく多くして人の言記憶には限りあれば、いかなる舌といふとも思ふに必ず盡しがたし 命運定めなきプーリアの地に、トロイア人のため、また誤ることなきリヴィオのしるせるごとくいと多くの指輪を 捕獲物となせし長き戰ひによりて、そのかみその血を歎ける民みなふたゝびよりつどひ またロベルト・グイスカールドを防がんとて刃のいたみを覺えし民、プーリア人のすべて不忠となれる處なるチェペラン およびターリアコッツォのあたり、乃ち老いたるアーラルドが素手にて勝利をえしところにいまなほ骨を積重ぬる者之に加はり ひとりは刺されし身ひとりは斷たれし身をみすとも、第九の嚢の汚らはしきさまには較ぶべくもあらぬなるべし 我見しにひとり頤より人の放屁する處までたちわられし者ありき、中板または端板を失へる樽のやぶれもげにこれに及ばじ 腸は二の脛の間に垂れ、また内臟と呑みたるものを糞となす汚き嚢はあらはれき 我は彼を見んとてわが全心を注ぎゐたるに、彼我を見て手をもて胸をひらき、いひけるは、いざわが裂かれしさまをみよ マオメットの斬りくだかれしさまをみよ、頤より額髮まで顏を斬られて歎きつゝ我にさきだちゆくはアーリなり そのほか汝のこゝにみる者はみな生ける時不和分離の種を蒔けるものなり、この故にかく截らる 後方に一の鬼ありて、我等憂ひの路をめぐりはつればこの群の中なるもの かく酷く我等を裝ふ、我等再びその前を過ぐるまでには傷すべてふさがればなり されど汝は誰なりや、石橋の上よりながむるはおもふに汝の自白によりて定められたる罰に就くを延べんためならん わが師答ふらく、死未だ彼に臨まず、また罪彼を苛責に導くにあらず、たゞその知ること周きをえんため 死せる我彼を導いて地獄を過ぎ、圈また圈をつたひてこゝに下るにいたれるなり、この事の眞なるはわが汝に物言ふことの眞なるに同じ 此言を聞ける時、あやしみのあまり苛責をわすれ、我を見んとて濠の中に止まれる者その數百を超えたり さらば汝ほどなく日を見ることをうべきに、フラー・ドルチンに告げて、彼もしいそぎ我を追ひてこゝに來るをねがはずば 雪の圍が、たやすく得べきにあらざる勝利をノヴァーラ人に與ふるなからんため糧食を身の固めとなせといへ すでにゆかんとしてその隻脚をあげし後、マオメットかく我に曰ひ、さて去らんとてこれを地に伸ぶ(地獄篇第廿八曲から、山川丙三郎訳) 絵の中の左手に立って、自分の腹を開いて見せているのがマホメット。右手では、悪鬼が一段高いところに立ち、罪びとたちを刃で切り裂いている。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |