ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
HOME|ブログ本館|美術批評|東京を描く|動物写真|英詩と英文学|西洋哲学 |プロフィール|掲示板 |
![]() |
ダンテは第九嚢に自分の縁者がいることに気が付き、その者に会いたがるが、ヴィルジリオに制止される。ダンテが他の者に気を取られているうちに、その者は行き過ぎてしまったし、ここにいつまでも長居するわけにはいかないと言って。 かくして二人は第十の嚢に下りてゆく。そこは偽造の罪を犯した者たちが落されてきたところであった。そこでダンテは、二人のイタリア人を見たほか、旧友のカポッキオと話を交わす。 我等マーレボルジェの最後の僧院の上にいで、その役僧等我等の前にあらはれしとき 憂ひの鏃をその矢につけし異樣の歎聲我を射たれば我は手をもて耳を蔽へり 七月九月の間に、ヴァルディキアーナ、マレムマ、サールディニアの施療所より諸々の病みな一の濠にあつまらば そのなやみこの處のごとくなるべし、またこゝより來る惡臭は腐りたる身よりいづるものに似たりき 我等は長き石橋より最後の岸の上にくだり、つねの如く左にむかふにこの時わが目あきらかになりて 底の方をもみるをえたりき、こはたふとき帝の使者なる誤りなき正義がその世に名をしるせる驅者等を罰する處なり 思ふに昔エージナの民の悉く病めるをみる悲しみといへども、(この時空に毒滿ちて小さき蟲にいたるまで 生きとし生けるもの皆斃る、しかして詩人等の眞とみなすところによればこの後古の民蟻の族よりふたゝびもとのさまにかへさる)、この暗き溪の中にあまたの束をなして衰へゆく魂を見る悲しみにまさらじ ひとりは俯きて臥し、ひとりは同囚の背にもたれ、ひとりはよつばひになりてこの悲しみの路をゆけり 我等は病みて身をあぐるをえざる此等の者を見之に耳をかたむけつつ言はなくてしづかに歩めり こゝにわれ鍋の鍋に凭れて熱をうくる如く互に凭れて坐しゐたる二人の者を見き、その頭より足にいたるまで瘡斑點をなせり その痒きことかぎりなく、さりとてほかに藥なければ、彼等はしばしばおのが身を爪に噛ましむ 主を待たせし厩奴または心ならず目を覺しゐたる僕の馬梳を用ふるもかくはやきはいまだみず 爪の痂を掻き落すことたとへば庖丁の鯉またはこれより鱗大なる魚の鱗をかきおとすごとくなりき わが導者そのひとりにいひけるは、指をもて鎧を解きかくしてしばしばこれを釘拔にかゆる者よ この中なる者のうちにラチオ人ありや我等に告げよ、(かくて願はくは汝の爪永遠にこの勞に堪へなんことを) かの者泣きつゝ答へて曰ひけるは、かく朽果てし姿をこゝに見する者はともにラチオ人なりき、されど我等の事をたづぬる汝は誰ぞや 導者曰ふ、我はこの生くる者と共に岩また岩をくだるものなり、我彼に地獄を見せんとす この時互の支へくづれておのおのわなゝきつゝ我にむかへり、また洩れ聞けるほかの者等もかくなしき 善き師身をいとちかく我によせ、汝のおもふことをすべて彼等にいへといふ、我乃ちその意に從ひて曰ひけるは ねがはくは第一の世にて汝等の記憶人の心をはなれず多くの日輪の下にながらへんことを 汝等誰にて何の民なりや我に告げよ、罰の見苦しく厭はしきをおもひて我に身を明かすをおそるゝなかれ(地獄篇第二十九曲から、山川丙三郎訳) 絵は、らい病を思わせる病にかかった二人の亡霊を前にしたダンテとヴィルジリオを描く。 |
HOME|神曲への挿絵|次へ |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |