ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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ダンテとヴィルジリオが第九の嚢の底に近づくと、なにやら塔のようなものが見えた。しかしそれは塔ではなく、おぞましい物なのだとヴィルジリオが予告する。彼らがずっと底の方へと下ってゆくと、そこは井戸の底のようになっていて、そこには下半身を埋没され、上半身だけを出した巨人たちが、底に突き刺さるように立ち並んでいたのであった。 同じ一の舌なれども先には我を刺して左右の頬を染め、後には藥を我にえさせき 聞くならくアキルレとその父の槍もまたかくのごとく始めは悲しみ後は幸ひを人に與ふる習ひなりきと 我等は背を幸なき大溪にむけ、之を繞れる岸の上にいで、言も交へで横ぎれり さてこの邊は夜たりがたく晝たりがたき處なれば、我は遠く望み見るをえざりしかど、はげしき雷をも微かならしむるばかりに 角笛高く耳にひゞきて我にその行方を溯りつゝ目を一の處にのみむけしめき 師いたましく敗れ、カルロ・マーニオその聖軍を失ひし後のオルラントもかくおそろしくは吹鳴らさゞりしなりけり われ頭をかなたにめぐらしていまだほどなきに、多くの高き櫓をみしごとく覺えければ、乃ち曰ふ、師よ、告げよ、これ何の邑なりや 彼我に、汝はるかに暗闇の中をうかゞふがゆゑに量ることたゞしからざるにいたる ひとたびかしこにいたらば遠き處にありては官能のいかに欺かれ易きものなるやをさだかに知るをえん、されば少しく足をはやめよ かくてやさしく我手をとりていひけるは、我等かなたにゆかざるうち、この事汝にいとあやしとおもはれざるため しるべし、彼等は巨人にして櫓にあらず、またその臍より下は坎の中岸のまはりにあり 水氣空に籠りて目にかくれし物の形、霧のはるゝにしたがひて次第に浮びいづるごとく 我次第に縁にちかづきわが眼濃き暗き空を穿つにおよびて誤りは逃げ恐れはましぬ あたかもモンテレッジオンが圓き圍の上に多くの櫓を戴く如く、おそろしき巨人等は その半身をもて坎をかこめる岸を卷けり(ジョーヴェはいまも雷によりて天より彼等を慴えしむ)(地獄篇第三十一曲から、山川丙三郎訳) 絵は、井戸の底に上半身だけを表に出して立ち並んだ巨人たちを描く。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |