ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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反逆者の圏のアルベルティ兄弟:ブレイクの「神曲」への挿絵



ダンテとヴィルジリオは、アンテオの手に助けられて、ついに地獄の底の底である第九の圏に下りてきた。ここは全宇宙の底でもある。そこで彼らはまず、夥しい数の亡者が、氷の中に閉ざされて震えているのを見る。その中の二人に、ダンテは興味を抱く。すると傍らの別の亡者が、彼らの名を教えてくれた。彼らはマンゴーナ伯アルベルティの息子たちで、互いに血を流し合って争ったかどでここに落されてきたのだった。

 若し我にすべての巖壓しせまる悲しみの坎にふさはしきあらきだみたる調あらば
 我わが想の汁をなほも漏れなく搾らんものを、我に是なきによりて語るに臨み心後る
 夫れ全宇宙の底を説くは戲れになすべき業にあらず、阿母阿父とよばゝる舌また何ぞよくせんや
 たゞ願はくはアムフィオネをたすけてテーべを閉せる淑女等わが詩をたすけ、言の事と配はざるなきをえしめんことを
 あゝ萬の罪人にまさりて幸なく生れし民、語るも苦き處に止まる者等よ、汝等は世にて羊または山羊なりしならば猶善かりしなるべし
 我等は暗き坎の中巨人の足下よりはるかに低き處におりたち、我猶高き石垣をながめゐたるに
 汝心して歩め、あしうらをもて幸なき弱れる兄弟等の頭を踏むなかれと我にいふものありければ
 われ身をめぐらしてみしにわが前また足の下に寒さによりて水に似ず玻璃に似たる一の池ありき
 冬のオステルリッキなるダノイアもかの寒空の下なるタナイもこの處の如く厚き覆面衣をその流れの上につくれることあらじ
 げにタムベルニッキまたはピエートラピアーナその上に落ちぬともその縁すらヒチといはざりしなるべし
 また農婦が夢にしばしば落穗を拾ふころ、顏を水より出して鳴かんとする蛙の如く
 蒼ざめしなやめる魂等は愧のあらはるゝところまで氷にとざゝれ、その齒を鶴の調にあはせぬ
 彼等はみなたえず顏を垂る、寒さは口より憂き心は目よりおのおそその證をうけぬ
 我しばしあたりをみし後わが足元にむかひ、こゝに頭の毛まじらふばかりに近く身をよせしふたりの者を見き
 我曰ふ、胸をおしあはす者よ、汝等は誰なりや我に告げよ、彼等頸をまげ顏をあげて我にむかへるに
 さきに内部のみ濕へるその眼、あふれながれて唇に傳はり、また寒さは目の中の涙を凍らしてふたゝび之をとざせり
 鎹といふともかくつよくは木と木をあはすをえじ、是に於て彼等はげしき怒りを起し、二匹の牡山羊の如く衝きあへり
 またひとり寒さのために耳を二ともに失へるもの、うつむけるまゝいひけるは、何ぞ我等をかく汝の鏡となすや
 汝このふたりの誰なるを知らんとおもはゞ、聞くべし、ビセンツォの流るゝ溪は彼等の父アルベルト及び彼等のものなりき
 彼等は一の身より出づ、汝あまねくカイーナをたづぬとも、氷の中に埋らるゝにふさはしきこと彼等にまさる魂をみじ
 アルツーの手にかゝりたゞ一突にて胸と影とを穿たれし者も、フォカッチヤーも、また頭をもて我を妨げ我に遠く
 見るをえざらしむるこの者(名をサッソール・マスケローニといへり、汝トスカーナ人ならばよく彼の誰なりしやをしらむ)もまさらじ
 又汝かさねて我に物言はす莫からんため、我はカミチオン・デ・パッチといひてカルリンのわが罪をいひとくを待つ者なるをしるべし
 かくて後我は寒さのため犬の如くなれる千の顏をみき、又之を見しによりて凍れる沼は我をわなゝかしむ、後もまた常にしからむ(地獄篇第三十二曲から、山川丙三郎訳)

絵は、氷に閉ざされて震える亡者たちを描く。右側の、互いにくっつきあった二つの亡者がアリベルティ兄弟だろう。





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