ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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ダンテとヴィルジリオはついに地獄の最低部に下りてくる。そこは氷に封じ込められた空間で、夥しい亡霊たちがさまざまな格好のままで氷漬けにされている。その真ん中に一人の巨人が立って、亡霊たちを見張ったり、あるいは悪霊を口に咥えて責苦を与えている。その巨人こそは、あらゆる悪魔を従える大王ルチフェルだ。 ルチフェルと地獄の様子を見守っているうちに、地獄界の上下が逆転し、ルチフェルも逆さまになった、その逆さまのルチフェルの体にしがみつきながら、ダンテとヴィルジリオは地獄の反対側へと移動してゆく。彼らの行く先には、煉獄の山が待ち構えているだろう。 ここで「神曲」地獄篇は終了し、「煉獄篇」へと移行してゆくわけである。 地獄の王の旗あらはる、此故に前方を望みて彼を認むるや否やを見よ、わが師かく曰へり 濃霧起る時、闇わが半球を包む時、風のめぐらす碾粉車の遠くかなたに見ゆることあり 我もこの時かゝる建物をみしをおぼえぬ、また風をいとへどもほかに避くべき處なければ、われ身を導者の後方に寄せたり 我は既に魂等全く掩ひ塞がれ玻璃の中なる藁屑の如く見え透ける處にゐたり(これを詩となすだに恐ろし) 伏したる者あり、頭を上にまたは蹠を上にむけて立てる者あり、また弓の如く顏を足元に垂れたる者ありき 我等遠く進みし時、わが師は昔姿美しかりし者を我にみすべき機いたれるをみ わが前をさけて我にとゞまらせ、見よディーテを、また見よ雄々しさをもて汝を固むべきこの處をといふ この時我身いかばかり冷えわが心いかばかり挫けしや、讀者よ問ふ勿れ、言及ばざるがゆゑに我これを記さじ 我は死せるにもあらずまた生けるにもあらざりき、汝些の理解だにあらば請ふ今自ら思へ、彼をも此をも共に失へるわが當時のさまを 悲しみの王土の帝その胸の半まで氷の外にあらはれぬ、巨人をその腕に比ぶるよりは 我を巨人に比ぶるかたなほ易し、その一部だにかくのごとくば之に適へる全身のいと大いなること知りぬべし 彼今の醜きに應じて昔美しくしかもその造主にむかひて眉を上げし事あらば一切の禍ひ彼よりいづるも故なきにあらず 我その頭に三の顏あるを見るにおよびてげに驚けることいかばかりぞや、一は前にありて赤く 殘る二は左右の肩の正中の上にてこれと連り、かつ三ともに鶏冠あるところにて合へり ・・・ 廣き乾ける土に蔽はれ、かつ罪なくして世に生れ世をおくれる人その頂點のもとに殺されし半球を離れ いまは之と相對へる半球の下にありて、足をジユデッカの背面を成す小さき球の上におくなり かしこの夕はこゝの朝にあたる、また毛を我等の段となせし者の身をおくさまは今も始めと異なることなし 彼が天よりおちくだれるはこなたなりき、この時そのかみこの處に聳えし陸は彼を恐るゝあまり海を蔽物となして 我半球に來れるなり、おもふにこなたにあらはるゝものもまた彼をさけんためこの空處をこゝに殘して走り上れるなるべし さてこの深みにベルヅエブの許より起りてその長さ墓の深さに等しき一の處あり、目に見えざれども 一の小川の響きによりてしらる、この小川は囘り流れて急ならず、その噛み穿てる岩の中虚を傳はりてこゝにくだれり 導者と我とは粲かなる世に歸らんため、このひそかなる路に入り、しばしの休をだにもとむることなく わが一の圓き孔の口より天の負ひゆく美しき物をうかゞふをうるにいたるまで、彼第一に我は第二に上りゆき かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて(地獄篇第三十四曲から、山川丙三郎訳) 地獄篇最後の挿絵は、本文に従いながら、ルチフェルの姿を描く。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |