ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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高慢の冠を下りてくる天使:ブレイクの「神曲」への挿絵



ダンテとヴィルジリオが第一冠の道を上り進んで行くと、彼らの踏む道には様々な像が彫られている。それらは、高慢の罪を犯した人々の像なのであった。それらの一人一人をダンテは、丁寧に見つめながら、感嘆の声を上げる。

そこへ、一人の天使が上方から下りてきてダンテらを迎える。ダンテはその天使に、額に刻まれたP字のうちの一つを消してもらう。七つあるP字のすべてが消えた時、ダンテには天国に上る資格が与えられるのだ。


 彼我に曰ふ。目を下にむけよ、道をたのしからしめむため、汝の足を載する床を見るべし。 
 埋められし者の思出にとて、その上なる平地の墓に、ありし昔の姿刻まれ 
 たゞ有情の者をのみ蹴る記憶の刺の痛みによりてしばしば涙を流さしむることあり 
 我見しに、山より突出でて路を成せるかの處みなまた斯の如く、象をもて飾られき、されど技にいたりては巧みなることその比に非ず 
 我は一側に、萬物のうち最も尊く造られし者が天より電光のごとく墜下るを見き 
 ・・・
 繋はなれぬわが魂のさとれるよりも、我等はなほ多く山をめぐり、日はさらに多くその道をゆきしとき
 常に心を用ゐて先に進めるものいひけるは。頭が擧げよ、時足らざればかく思ひに耽りてゆきがたし 
 見よかなたにひとりの天使ありて我等の許に來らんとす、見よ第六の侍婢の、晝につかふること終りて歸るを 
 敬をもて汝の姿容を飾れ、さらば天使よろこびて我等を上に導かむ、この日再び晨とならざることをおもへ。 
 我は時を失ふなかれとの彼の誡めに慣れたれば、彼のこの事について語るところ我に明かならざるなかりき
 美しき者こなたに來れり、その衣は白く、顏はさながら瞬く朝の星のごとし
 彼腕をひらきまた羽をひらきていふ。來れ、この近方に階あり、しかして汝等今より後は登り易し。 
 それ來りてこの報知を聞く者甚だ罕なり、高く飛ばんために生れし人よ、汝等些の風にあひてかく墜ちるは何故ぞや
 彼我等を岩の截られたる處にみちびき、こゝに羽をもてわが額を打ちて後、我に登の安らかなるべきことを約せり
 ・・・
 我等既に聖なる段を踏みて登れり、また我はさきに平地にありしときより身のはるかに輕きを覺えき 
 是に於てか我。師よ告げよ、何の重き物我より取られしや、我行けども殆んど少しも疲勞を感ぜず。 
 答へて曰ふ。消ゆるばかりになりてなほ汝の顏に現れるP、その一のごとく全く削り去らるゝ時は 
 汝の足善き願ひに勝たるゝがゆゑに疲勞をしらざるのみならず上方に運ばるゝをよろこぶにいたらむ。
 頭に物を載せてあゆみ自らこれを知らざる人、他の人々の素振をみてはじめて異の心をおこせば 
 手は疑ひを霽さんため彼を助け探り得て、目の果し能はざる役を行ふ、この時わが爲せることまたかゝる人に似たりき
 我はわがひらける右手の指によりて、かの鑰を持つもののわが額に刻める文字たゞ六となれるをしりぬ 
 導者これをみて微笑みたまへり(煉獄篇第十二曲から、山川丙三郎訳)


絵は、煉獄の上方から下りてきた天使が、ダンテとヴィルジリオに声をかけるところを描く。ダンテらの上りゆく道には、高慢の罪を犯した人々の像が彫られている。





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