ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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売女と巨人:ブレイクの「新曲」への挿絵



ベアトリーチェに叱責されたダンテは、淑女マティルダの導きで、レテの川の水を飲んで忌まわしい記憶をすべて焼却する。こうして過去の罪悪から浄められたダンテは、ベアトリーチェの眼をまっすぐに見つめることができるようになる。その眼のなかには、聖書が教えるような、人類史の出来事がイメージとなって再現される。その様子にダンテは見とれる。

さらにダンテは、ベアトリーチェに導かれて、カトリック教会の変遷を物語るさまざまなイメージを眼にする。その中には、異形の怪物に跨った売女が巨人と接吻する場面も出てくる。


 汝はこゝに少時林の人となり、その後かぎりなく我と倶にかのローマ即ちクリストをローマ人の中にかぞふる都の民のひとりとなるべし
 さればもとれる世を益せんため、目を今輦にとめよ、しかして汝の見ることをかなたに歸るにおよびて記せ。 
 ベアトリーチェ斯く、また我はつゝしみてその命に從はんとのみ思ひゐたれば、心をも目をもその求むるところにむけたり 
 いと遠きところより雨の落つるとき、濃き雲の中より火の降るはやしといへども 
 わが見しジョーヴェの鳥に及ばじ、この鳥木をわけ舞ひくだりて花と新しき葉と皮とをくだき 
 またその力を極めて輦を打てば、輦はゆらぎてさながら嵐の中なる船の、浪にゆすられ、忽ち右舷忽ち左舷に傾くに似たりき 
 我また見しにすべての良き食物に饑うとみゆる一匹の牝狐かの凱旋車の車内にかけいりぬ 
 されどわが淑女はその穢はしき罪を責めてこれを逐ひ、肉なき骨のこれに許すかぎりわしらしむ 
 我また見しにかの鷲はじめのごとく舞下りて車の匣の内に入り己が羽をかしこに散して飛去りぬ 
 この時なやめる心よりいづるごとき聲天よりいでていひけるは。ああわが小舟よ、汝の積める荷はいかにあしきかな。 
 次にはわれ輪と輪の間の地ひらくがごときをおぼえ、またその中より一の龍のいで來るをみたり、この者尾をあげて輦を刺し 
 やがて螫を收むる蜂のごとくその魔性の尾を引縮め車底の一部を引出して紆曲りつつ去りゆけり 
 殘れる物は肥えたる土の草におけるがごとく羽(おそらくは健全にして厚き志よりさゝげられたる)に 
 おほはれ、左右の輪及び轅もまたたゞちに――その早きこと一の歎息の口を開く間にまされり――これにおほはる 
 さてかく變りて後この聖なる建物その處々より頭を出せり、即ち轅よりは三、稜よりはみな一を出せり 
 前の三には牡牛のごとき角あれども後の四には額に一の角あるのみ、げにかく寄しき物かつてあらはれし例なし 
 その上には高山の上の城のごとく安らかに坐し、しきりにあたりをみまはしゐたるひとりのしまりなき遊女ありき 
 我また見しにあたかもかの女の奪ひ去らるゝを防ぐがごとく、ひとりの巨人その傍に立ちてしばしばこれと接吻したり 
 されど女がその定まらずみだりなる目を我にむくるや、かの心猛き馴染頭より足にいたるまでこれを策ち 
 かくて嫉みと怒りにたへかね、異形の物を釋き放ちて林の奧に曳入るれば、たゞこの林盾となりて 
 遊女も奇しき獸も見えざりき(煉獄編台三十二曲から、山川丙三郎訳)


七面の巨大な蛇体の怪獣の上に、美酒をたたえた杯を手に売女がまたがり、太い綱で怪獣を操る巨人が売女に接吻する様子を描く。画面右手には三人の淑女たちが立ち、その足元に座しているのはベアトリーチェ。ダンテの姿は見えない。

その後ダンテは、ベアトリーチェに導かれて、レテ、エウノエ両川の源にいたる。そこでよき思い出の水を飲んだダンテは、体中に漲る力を感じ、自分がいよいよ天上の楽園(天国)に上るに相応しい状態になったことを自覚する。





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