ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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ケンタウロスと血の川:ブレイクの「神曲」への挿絵



ダンテたちはやがて、煮えたぎる血の川フレジェトンタに出る。そこには隣人に向って暴力を振るった者たちが浮かんでおり、それらを三体のケンタウロスが、目を光らして監視している。ケンタウロスたちは、ダンテを見て、ここは生きている者の来るところではないといぶかるが、ヴィルジリオが首領格のキロンを説得して、先へ進めるようにし、ケンタウロスのうちの一体ネッソがかれらを案内することとなる。ネッソは、この川に浮かんでいるさまざまな暴君たちを指さしては、彼らの行った悪行を説明する。

 されど目を下に注げ、血の河近ければなり、すべて暴によりて人を害ふものこの中に煮らる
 あゝ惡き狂へる盲の慾よ、苟且の世にかく我等を唆かし、後かぎりなき世にかく幸なく我等を漬すとは
 われ見しに導者の我に告げし如く、彎曲して弓を成し全く野を抱くに似たる一の廣き濠ありき
 岸の裾と是との間にはあまたのチェンタウロ矢を持ち列をくみて駛せゐたり、そのさま恰も世にすみて狩にいでし時の如し
 我等の下るを見てみなとゞまりぬ、群のうちよりみたりの者まづ弓矢をえらびこれをもてすゝめり
 そのひとり遙かに叫びていひけるは、汝等崖を下る者いかなる苛責をうけんとて來れるや、その處にて之をいへ、さらずば弓彎かむ
 わが師曰ひけるは、我等近づきそこにてキロンに答ふべし、汝は心常にかく燥》るによりて禍ひをえき
 かくてわが身に觸れていひけるは、彼はネッソとて美しきデイアーニラのために死し、自ら怨みを報いしものなり
 眞中におのが胸をみるはアキルレをはぐゝめる大いなるキロン、いまひとりは怒り滿ち満ちしフォーロなり
 彼等千々相集まりて濠をめぐりゆき、罪の定むる處を越えて血より出づる魂あればこれを射るを習ひとす
 我等は此等の疾き獸に近づけり、キロン矢を取り、はずにて鬚を腮によせて
 大いなる口を露はし、侶に曰ひけるは、汝等見たりや、かの後なる者觸るればすなはち物の動くを
 死者の足にはかゝることなし、わが善き導者この時既に二の象結び合へる彼の胸ちかくたち
 答へて曰ひけるは、誠に彼は生く、しかもかく獨りなるにより、我彼にこの暗闇の溪をみせしむ、彼を導く者は必須なり娯樂にあらず
 ひとりのものアレルヤの歌をはなれてこの新しき任務を我に委ねしなり、彼盜人にあらず、我また盜人の魂にあらず
 さればかく荒れし路を傳ひて我に歩みを進ましむる權威》によりこゝに我汝に請ふ、群のひとりを我等にえさせよ、我等その傍にしたがひ
 彼は我等に渉るべき處ををしへ、また空ゆく靈にあらねばこの者をその背に負ふべし
 キロン右にむかひネッソにいひけるは、歸りてかく彼等を導け、もしほかの群にあはゞそれに路を避けしめよ
 我等は煮らるゝものゝ高く叫べる紅の煮の岸に沿ひ、このたのもしき先達と共に進めり
 我は眉まで沈める民を見き、大いなるチェンタウロいふ、彼等は妄りに血を流し産を掠めし暴君なり
 こゝに彼等その非情の罪業を悼》む、こゝにアレッサンドロあり、またシチーリアに患の年を重ねしめし猛きディオニシオあり
 かの黒き髮ある額はアッツォリーノなり、またかの黄金の髮あるはげに上の世にその繼子に殺されし
 オピッツオ・ダ・エスティなり、この時われ詩人の方にむかへるに、彼曰ひけるは、この者今は汝のために第一となり我は第二となるべし
 ・・・
 かくいひて身をめぐらし、再びこの淺瀬を渉れり

絵はラフスケッチのままだが、中央奥の部分や手前にケンタウロスの眷属たちを描いている。





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