ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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プールの畔を行くダンテらと悪鬼の一行:ブレイクの「神曲」への挿絵



地獄篇第二十二曲は、ダンテとヴィルジリオが悪鬼たちに案内され第五嚢のプールの畔を行くさまについて歌う。悪鬼たちの獰猛なことは、人間どものどんな凶暴な戦の様子も及ばないほどすさまじい。だから、プールの中の罪人たちは、彼らの災いを逃れようとして必死である。だが、そんな罪人の一人が、悪鬼によって熊手で絡め取られる。

 我嘗て騎兵の陣を進め、戰ひを開き、軍を整へ、或時はまた逃げのびんとて退くを見き 
 アレッツォ人よ、我は或ひは喇叭或ひは鐘或ひは太鼓或ひは城の相圖或ひは本國異邦の物にあはせ 
 進んで偵ふもの襲うて掠むるもの汝等の地にわしり、また軍軍と武を競ひ、兵兵と技を爭ふを見き 
 されど未だかく奇しき笛にあはせて歩騎動き、陸または星をしるべに船進むをみしことあらじ 
 我等は十の鬼と共に歩めり、げに兇猛なる伴侶よ、されど聖徒と寺に浮浪漢と酒肆に 
 我心はたゞ脂にのみむかへり、こはこの嚢とその中に燒かるゝ民の状態とを殘りなく見んためなりき 
 たとへば背の弓をもて水手等をいましめ、彼等に船を救ふの途を求めしむる海豚》の如く 
 苦しみをかろめんため、をりふし罪人のひとりその背をあらはし、またこれをかくすこと電光よりも早かりき 
 またたとへば濠水の縁にむれゐる蛙顏をのみ出して足と太やかなるところをかくすごとく 
 罪人等四方にうかびゐたるが、バルバリッチヤの近づくにしたがひ、みなまた煮の下にひそめり 
 我は見き(いまも思へば我心わなゝく)、一匹の蛙殘りて一匹飛びこむことあるごとくひとりの者のとゞまるを 
 いと近く立てるグラッフィアカーネ、脂にまみれしその髮の毛を鐡搭にかけ、かくして彼をひきあぐれば、姿さながら河獺に似たりき 
 我は此時彼等の名を悉く知りゐたり、これ彼等えらばれし時よく之に心をとめ、その後彼等互に呼べる時これに耳を傾けたればなり 
 詛はれし者共聲をそろへて叫びていふ、いざルビカンテよ、汝爪を下して彼奴の皮を剥げ(地獄篇第二十二曲から、山川丙三郎訳) 

絵は、瀝青のプールの麓を行く、ダンテとヴィルジリオ、及び彼らを案内する悪鬼たちの一行を描く。瀝青のプールの中には、大勢の罪びとの頭が覗いている。





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