ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵
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煉獄の山に登るダンテとヴィルジリオ:ブレイクの「神曲」への挿絵



煉獄山の麓にいるダンテとヴィルジリオは、いよいよ山を登ることとなる。山は大きく二つの部分からなり、上層は七つの大罪に応じた罪人が悔い改めるために配置されている。その下の部分は、上層への取りつきとなっているが、これは二つの台地の層からなっている。この台地の層を上りつめると、ペテロの門があって、これをダンテらは潜って煉獄山の本体へとアクセスする。

二人はまず、麓で出会った亡霊の一行と共に第一の大地を上る。そして途中で彼らと別れた後は、二人だけになって上ってゆく。その途中で一群の亡霊に出会うが、その中の一人はダンテのよく知る人だった。それはペラックワと言って、生前ものぐさの罪を犯したのだが、死ぬ間際に悔悛したことで、地獄ではなく煉獄へ送られてきたのだった。


 導者さきに我あとにたゞふたり登りゆきし徑路よりは間々大いなるべし 
 サンレオにゆき、ノーリにくだり、ビスマントヴァを登りてその頂にいたるにもただ足あれば足る、されどこゝにては飛ばざるをえずと 
 即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 
 我等は碎けし岩の間を登れり、崖左右より我等に迫り、下なる地は手と足の助けを求めき 
 我等高き陵の上縁、山の腰のひらけしところにいたれるとき、我いふ。わが師よ、我等いづれの路をえらばむ。 
 彼我に。汝一歩をも枉ぐるなかれ、さとき嚮導の我等にあらはるゝことあるまで、たえず我に從ひて山を登れ。 
 巓は高くして視力及ばず、また山腹は象限の中央の線よりはるかに急なり 
 我疲れて曰ふ。あゝやさしき父よ、ふりかへりて我を見よ、汝若しとゞまらずば、我ひとりあとに殘るにいたらむ。 
 わが子よ、身をこの處まで曳き來れ。彼は少しく上方にあたりて山のこなたをことごとくめぐれる一の高臺を指示しつゝかくいへり 
 この言にはげまされ、我は彼のあとより匍匐つゝわが足圓の上を踏むまでしひて身をすゝましむ 
 ・・・
 されど我等いづこまで行かざるをえざるや、汝ねがはくは我にしらせよ、山高くそびえてわが目及ぶあたはざればなり。 
 彼我に。はじめ常に艱しといへども人の登るに從つてその勞を少うするはこれこの山の自然なり 
 此故に汝これをたのしみ、上るの易きことあたかも舟にて流れを追ふごときにいたれば 
 すなはちこの徑路盡く、汝そこにて疲れを休むることをうべし、わが汝に答ふるは是のみ、しかして我この事の眞なるを知る。 
 彼その言葉を終へしとき、あたりに一の聲ありていふ。おそらくは汝それよりさきに坐せざるをえざるなるべし。 
 かくいふをききて我等各々ふりかへり、左に一の大いなる石を見ぬ、こは我も彼もさきに心をとめざりしものなりき 
 我等かしこに歩めるに、そこには岩の後なる蔭に息へる群ありてそのさま怠惰のため身を休むる人に似たりき 
 またそのひとりはよわれりとみえ、膝を抱いて坐し、顏を低くその間に垂れゐたり(煉獄篇第四曲から、山川丙三郎訳) 


絵は、煉獄山の第一台地から第二台地へと上って行くダンテとヴィルジリオを描く。先に立っているのがヴィルジリオ。彼はダンテを励ましている。なお、煉獄では、太陽は北に位置するとされている。





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