ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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ダンテとヴィルジリオが彫刻に見入っていると、不思議な人々の一団が通り過ぎてゆく。彼らは高慢の罪で煉獄の第一冠に配された人々である。背中に重いものを負い、その重さに腰を曲げながら歩いてゆく。 詩人さゝやきていふ。見よこなたに多くの民あり、されどその歩は遲し、彼等われらに高き階にいたる路を教へむ。 眺むることにのみ凝れるわが目も、その好む習ひなる奇しき物をみんとて、たゞちに彼の方にむかへり 讀者よ、げに我は汝が神何によりて負債を償はせたまふやを聞きて己の善き志より離るゝを願ふにあらず 心を苛責の状態にとむるなかれ、その成行を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判の後まで續かざることを思へ 我曰ふ。師よ、こなたに動くものをみるに姿人の如くならず、されどわが目迷ひて我その何なるを知りがたし。 彼我に。苛責の重荷彼等を地に屈ましむ、されば彼等の事につきわが目もはじめ爭へるなり されど汝よくかしこをみ、かの石の下になりて來るものをみわくべし、汝は既におのおののいかになやむやを認むるをえむ。 噫心傲が基督教徒よ、幸なき弱れる人々よ、汝等精神の視力衰へ、後退して進むとなす 知らずや人は、裸のまゝ飛びゆきて審判をうくる靈體の蝶を造らんとて生れいでし蟲なることを 汝等は羽ある蟲の完からず、這ふ蟲の未だ成り終らざるものに似たるに、汝等の精神何すれぞ高く浮び出づるや 天井または屋根を支ふるため肱木に代りてをりふし一の像の膝を胸にあて 眞ならざる苦しみをもて眞の苦しみを見る人に起さしむることあり、われ心をとめて彼等をみしにそのさままた斯の如くなりき 但し背に負ふ物の多少に從ひ、彼等の身を縮むること一樣ならず、しかして最も忍耐強しと見ゆる者すら なほ泣きつゝ、我堪へがたしといふに似たりき(煉獄篇第十曲から、山川丙三郎) 絵は、重い荷を背負いながら、岩棚を進んで行く高慢者たちの一群。彼らは、この苦行を通じて、罪を許され、天国へと上る資格を付与されるのである。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |