ブレイクのダンテ「神曲」への挿絵 |
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ブレイクは、1824年にダンテの「神曲」への挿絵制作にとりかかり、1827年に死ぬまでその作業を続けた。スケッチまで含めると、現在確認できる点数は102点である。これらの作品は、ダンテの晩年のパトロンであったジョン・リンネルの依頼にもとづいて作られた。しかし、ダンテの生前にも、また死後にも、一冊の本として出版されることはなく、リンネルがそれぞれバラバラの形で保有した後、1918年にオークションにかけられ、現在では、大英博物館はじめいくつかの機関によって分割保有されている。 ダンテの神曲へ挿絵を入れるという目的で作られたわけであるから、それぞれの絵は、ダンテのテクストに対応している。しかし、ブレイクはその対応を完全に明確にしているわけではないので、一部には対応関係が不明なものもある。それらを含めて、ブレイク研究家として知られるマーティン・バトリンによる考証がもっともよく用いられている。 102点のうち、地獄篇からは72点、煉獄篇からは20点、その他(天国篇と不明あわせて)10点。各作品のサイズは、おおむね約37×52cmである。 このサイトでは、102点すべてについて、テクストとのかかわりや絵の鑑賞を行なっていきたい。テクストには、山川丙三郎による日本語訳(岩波文庫版)を援用した。 |
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